神田女学園の創立は1890年。初代校長の竹澤里先生は、当時極めて低調だった女子教育の必要性を痛感し、苦学力行して東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)を卒業後、教育界に入り女子教育の先駆者のひとりとなりました。
女性の社会進出など不要と言われていた時代に、女性が学校を創立させるためにどれだけの苦難を味わったか。そのような中でも「目的一貫」「敵を愛せ」と唱え、女子教育家になる夢をあきらめずついに学園を創立させます。以来、関東大震災や太平洋戦争など幾多の試練を乗り越えながら神田女学園の伝統は脈々と受け継がれ、今日まで女子教育の輪を広げてきました。
近年は社会の変革とともに、教育の大改革が進められています。これまでとは違う新しい社会を生き抜く力をつけることが、教育に強く求められています。グローバル社会と呼ばれる新時代に不可欠な「言語教育」に特に力を入れるとともに、確かな学力に裏付けられた「教養」と「品格」を備えた女性の育成を目指しています。そして、
「目的一貫」「敵を愛せ」という建学の精神は、現在「誠愛勤朗」
という言葉とともに新しい時代を生きる生徒たちの人格形成の礎になるべく、今なお学園の中に息づいています。
沿革
沿革
1890年 |
神田区仲猿楽町(現在の西神田2丁目一帯)に神田高等女学校創立 |
1891年 |
神田三崎町に場所を移し東京高等女学校と改称 |
1904年 |
校名を神田共立女学校と改称 |
1909年 |
高等女学校令第5条による高等女学校認可。神田高等女学校と改称 |
1916年 |
竹澤里校長死去 |
1917年 |
仲町の新校舎に移転 |
1923年 |
関東大震災で校舎全壊焼失 |
1926年 |
神田区花房町(現在の万世橋ぎわ)に移転 |
1935年 |
現在地神田猿楽町の新校舎に移転 |
1945年 |
4月14日早暁の戦災で3階建て校舎は外郭を残し |
1947年 |
学制改革により神田中学校を設置 |
1948年 |
神田高等女学校を廃し、神田女子高等学校を設置 |
1951年 |
学校法人神田女学園中学校・高等学校と改称 |
1964年 |
高校ソフトボール部国民体育大会で優勝 |
1970年 |
創立80周年記念式典挙行(文京公会堂) |
1972年 |
高校ソフトボール部インターハイで優勝 |
1976年 |
中国の招きにより本校単独ソフトボール選手団訪中 |
1980年 |
創立90周年記念式典、祝宴挙行(東京会館) |
1986年 |
中学ソフトボール部全国中学校大会優勝 |
1990年 |
創立100周年記念式典、祝宴挙行(東京会館) |
1998年 |
第1回シアトル語学研修実施 |
2002年 |
第1回高校沖縄修学旅行実施 |
2006年 |
中国語の授業スタート |
2007年 |
第1回中学校ハワイ修学旅行実施 |
2008年 |
4月1日新校舎へ移転 |
2011年 |
高橋順子校長就任 |
2013年 |
第1回中学校オーストラリア修学旅行実施 |
2013年 |
4月、KSS(神田サタデースクール開校) |
2014年 |
3月、第1回台湾語学研修 |
2015年 |
7月13日、オークランドガールズグラマースクールと姉妹校提携 |
2016年 |
中学「グローバルクラス」スタート |
2017年 |
3月14日、神田外語大学と高大連携 |
2018年 |
高校「グローバルコース」スタート |
2019年 |
宗像諭校長就任 |
2020年 |
ニュージーランド、カナダ、アメリカへのダブルディプロマプログラム開始 |
2022年 |
芦澤康宏校長就任 |
校訓
校訓
これらの徳目を身に付けた、品格のある女性の育成が教育の指針として掲げられています。
生徒集会の冒頭で、生徒会長に続き全校生徒が声を出して唱える「わたくしたちの言葉」。この言葉には、本校の130年に渡る伝統の念と校訓に示された女性になろうという意思が込められています。
(わたくしたちの言葉)
「私たちはいつも、誠(まこと)と愛(あい)と勤勉(きんべん)と明朗(めいろう)の徳を養って、人格の向上に努めましょう。」
本校の在校生は、常にこの意味を考えながら、自分なりの「誠愛勤朗」を求めて、学校生活を送っています。
神田女学園中学校高等学校 校歌
神田女学園中学校高等学校 校歌
一
あした みどりの 空を仰ぎて
ともに いそしむ ひとみは 澄 めり
愛もて かざらん まなびの花園
光に羽ばたく われら 若鳥
二
土の 息吹 の 今も伝うる
まこと ひとすじ ほがらの心
きらめき流るゝ 竹水のごとく
希望 涯 なき わかき命よ
三
清き まなびの 窓のともしび
長く しるべの 光となさん
心のふるさと 神田女学園
久遠 に栄えよ 我等が母校