神田女学園 中学校高等学校 同窓会 竹水会

竹水会紹介

会長挨拶

退任のご挨拶

 卒業生の皆様お健やかにお過ごしでしょうか。新しい元号を迎え記念すべきオリンピックイヤーで盛り上がるはずでしたが世界初の「新型コロナウィルス」の感染拡大により日常生活も儘ならず、不安な日々が続いております。 一人一人の心がけで不要不急の外出は控え、手洗いうがい、マスクの着用など感染防止に努めて参りましょう。
 今年、母校は創立130周年を迎えました。竹水会の皆さまと学園関係者の皆様と共にお慶び申し上げたいと存じます。母校は、明治 23年(1890年)に神田仲猿樂町(現西神田)にて産声を上げました。初代校長竹澤 里先生の建学の精神は現在まで受け継がれております。日本は今年終戦から75年が経ち多種多様な生活スタイルの文化が確立され個々の自覚と責任が求められています。  しかし、いつの時代でも人が人として生きるためには思いやる心、 即ち 「恕」 が大切です。 恕の精神は、 時代 が移り変わっても忘れてはならないものだと思います。
 ところで本来でございましたら皆様には母校の教育環境の設備及び教育研究の推進支援目的・並びに創立130 周年記念の「設備充実資金」の寄付のご協力をお願いするところでございました。しかしこの様なコロナ禍の大変な状況下にあって寄付のお願いは甚だ心苦しいことでございますので、常任幹事会の決議を経て記念業等積立金より200万円を母校に寄付をさせていただくことになりました。卒業生皆様の温かいお気持ちとして母校にお渡しを致します。何とぞご理解をお願い申し上げます。
 さて母校は130周年を迎えるなか「伝統はたゆまぬ革新とともに」をテーマに高橋理事長、宗像校長のもと最新の学校教育を導入しております。ご家族ご親戚・ お知り合いの方へご紹介いただければ幸いです。  私は2012年より 8年間、会長を務めさせて頂きました。皆様のご協力に心から感謝申し上げます。 これからも竹内喜代美新会長のもと同窓生の縦と横の絆を一層深めて竹水会を盛り上げて参りましょう。一人一人のお力添えがやがて大きな大輪となります。ご協力賜りますよう切にお願い申し上げます。母校の益々の発展と、皆様のご多幸を祈念申し上げます。

前会長 伊原三枝子

会長着任のご挨拶

 記念すべき神田女学園創立130周年を迎え、竹水会のみなさまと心からお慶び申し上げます。母校は、明治 23年仲猿樂町に「神田高等女学校」として設立されました。初代校長である竹澤里先生は教育の目標、「目的一貫」 「敵を愛せ」を唱えられ、建学の精神である「質素堅実な淑女の育成」にご尽力されました。その後時代の流れと共に校訓「誠・愛・勤・朗」となりました。後に、校長になられた小熊又三先生は、「誠愛勤朗」の四徳を一言に言い表すと、論語中の孔子のことば『恕』 (思いやりの心)であると要約されました。それは、 「人を思いやる心」それが『恕』の精神であると説かれました。
 以後今日まで、初代校長竹澤里先生の女子教育の理想、と小熊又三先生の恕の精神、教育の理念は、130年の長きにわたって多くの諸先生のご指導と卒業生、在校生によって、大切に受けつがれてまいりました。多様化の時代といわれる今、『恕』の精神は心の基本であり、大事な教えではないでしょうか。その大切な教えと共に、この度、 竹水会会長として8年間にわたりご尽力され、私の中学・高校時代の恩師でもある伊原三枝子様より竹水会会長を受継ぎ務めさせて頂くこととなりました。新役員・新学年幹事と共に竹水会の皆様、また高橋順子理事長・14代学校長宗像諭先生、諸先生のご支援・ご協力を頂きながら精一杯力を尽くしてまいります。未だ終わりの見えないコロナ禍、母校、竹水会は勿論のこと、皆様も大変な思いをされていることでしょう。自粛中には母校のホームページなど覗いて頂ければと思います。そして同期会・ホームカミングデイ開催時には皆様お誘いの上、多数出席ください。
 進化と更なる歴史を重ねていく母校の発展と皆様のご健康とご活躍を祈念申し上げます。

竹水会会長 竹内喜代美

竹水会名称の由来

初代校長の竹澤 里先生
(明治24年〜大正5年在任)

初代校長の竹澤 里先生のお名前から竹と沢(水の流れ)を組合せて「竹水」と称し同窓会の名称となる。

初代校長の竹澤 里先生
(明治24年〜大正5年在任)

竹澤 里の教育方針

『教養の方針』によると、「教育勅語の趣旨を奉戴して、よく女子の本分を尽す者を養成すること」を基本とし、虚栄に走り華美に流れること、いたずらに高い理想のみを追うことを避け、社会の実情に適する学識と徳性をさずけること。夫をたすけ子を育て、日本帝国の子女として国家の公益を思う女性を育てることなどをあげている。その中で、とくに注目すべきは、あくまで「性を矯めて天真を害する形式的訓育」を避け、「つとめてその自然を伸ばし、その天稟の性を全せしむること」を強調している点である。

学校・竹水会の沿革

明治23年(1890) 松田秀雄・小笠原清務・角田真平の3氏が中心となり、神田区中猿楽町校舎
神田女学校・附属幼稚園を創立
衆議院議員・弁護士
角田真平

初代東京市長・衆議院議員
松田秀雄
礼法家・小笠原流総本家
小笠原清務

明治24年(1891) 神田三崎町に移転し東京高等女学校と改称
明治37年(1904) 神田共立女学校と改称
明治42年(1909) 神田高等女学校と改称
大正  3年(1914) 竹水一号発刊
大正  5年(1916) 3月25日、竹澤里校長逝去
大正  6年(1917) 仲町校舎完成、木造3階建の新校舎、財団法人神田女学会を設立
大正  8年(1919) 同窓会を竹水会と称する、会則発足、竹水二号発刊
会員は、神田共立女学校・神田女子技芸学校・神田高等女学校の卒業生、 現旧教職員と関係者
大正12年(1923) 関東大震災、仲町校舎全壊焼失
昭和10年(1935) 震災後移転した神田花房町の校舎が手狭なり、猿楽町に現在の鉄筋3階建校舎完成
昭和12年(1937) 竹澤里初代校長・校地寄贈の三谷長三郎・同夫人の胸像完成・除幕式

 

竹澤里先生胸像
三谷長三郎・てい夫妻胸像
昭和19年(1944) 大正3年から昭和19年まで毎年『竹水誌』発行
昭和20年(1945) 太平洋戦争。4月14日の空襲で鉄筋校舎が外枠を残して全焼 校舎は1951年に補修、9月から授業再開
昭和22年(1947) 6・3・3制の学制改革、神田女学園中学校を設置
昭和23年(1948) 学制改革により神田女子高等学校設置・神田高等女学校廃止 2年後、神田女学園中学校・高等学校と改称
昭和25年(1950) 創立60周年記念式典挙行
昭和30年(1955) 竹水誌復刊(昭和20年~29年まで休刊)
昭和34年(1959) 竹水会総会開催

 

休刊前最後の
『竹水』第19号
(昭和19年9月刊)
復刊第1号の
『竹水』第30号
(昭和30年2月刊)
竹水会総会記念写真
(昭和34年6月3日)

竹水会総会記念写真(昭和34年6月3日)
昭和35年(1960) 創立70周年記念式典挙行
昭和39年(1964) 第19回国民大会高等女子ソフトボール部全国優勝
校庭での歓迎式(昭和39年6月13日)
昭和45年(1970) 創立80周年記念式典を文京公会堂で挙行
昭和47年(1972) 第24回全日本高等学校女子ソフトボール選手権大会全国優勝
昭和51年(1976) 講堂・校舎が完成
昭和54年(1979) 特待生制度を設ける(成績優秀者に1年間の授業料免除)
昭和55年(1980) 創立90周年記念式典挙行(東京會舘)
昭和58年(1983) 千葉県長柄町用地購入・研修センター建設
昭和59年(1984) 中学校ソフトボール部関東大会初優勝
昭和60年(1985) 長柄研修センター完成(千葉県長生郡長柄町)
創立85周年記念式典挙行(長柄研修センター)

 

長柄研修センター全景

愛犬シロ

昭和61年(1986) 第8回全国中学校ソフトボール大会全国優勝
高校インターハイ・国体全国優勝、三冠の栄誉を獲得
全国優勝記念祝勝会で、東京都ソフトボール協会より表彰される
昭和63年(1988)
小熊又三校長胸像除幕式
平成  2年(1990) 創立100周年記念式典挙行(東京會舘)
卒業生名簿発刊

 

平成  6年(1994) 学校文化祭に参加(同窓生有志によるバザー)
平成6年~現在まで毎年文化祭に参加・総会・模擬店を開催
竹水通信の発行(毎年9月発行)
平成  7年(1995) 卒業生の子女等に入試優遇制度開始
平成10年(1998) 定例同期会開催(卒業5・20年目)

 

平成9年 第49回卒業記念品
平成 12年(2000) 創立110周年記念式典挙行・祝賀会は竹水会主催(如水會舘)
同窓会総会挙行・卒業生名簿発刊、竹水会入会式を挙行

 

平成14年(2002) 小熊又三理事長逝去・御喜正校長退任
森田浩一郎理事長・梅津久昭校長就任
会則改訂
平成15年(2003) 竹水会会長 佐藤怜子就任(昭和29年卒業生)
平成16年(2004) 海外語学研修奨学金制度発足~2009年まで実施
平成17年(2005) 梅津久昭校長退任・後藤久夫校長就任
平成18年(2006) 校舎建て替えのため旧永田町小学校校舎に移転
平成19年(2007) 後藤久夫校長退任・齋藤元治校長就任
平成20年(2008) 新校舎落成記念祝賀会
新校舎『設備充実資金』寄附協力2011年まで
平成22年(2010) 齋藤元治校長退任・高橋順子校長就任
創立120周年記念式典挙行(東京會舘)

 

平成24年(2012) 竹水会会長 伊原三枝子就任(昭和46年卒業生)
平成26年(2014) 森田浩一郎理事長退任・高橋順子校長・理事長兼務
ホームカミングデー開催
平成27年(2015) 会則改訂(個人情報保護方針)
平成31年(2019) 高橋順子校長退任・宗像諭校長就任
第41回全国中学校ソフトボール大会全国優勝
ホームカミングデー開催
令和  2年(2020) 創立130周年

 

竹水マークの変遷

神田女学園 竹水会 会則

第一章 総則

第一条 本会は「竹水会」と称する
第二条 本会は会員相互の親睦向上及び母校の発展に協力することを目的とする
第三条 本会の目的を達する為 次の事項を行う
1.総会その他の会合
2.会報の発行
3.その他本会の目的を達成するために必要な事業
第四条 本会は事務所を東京都千代田区神田猿楽町2丁目3番6号 神田女学園内に置く

第二章 会員・役員

第五条 本会の会員は次のとおりとする
1 普通会員
(1)本学園中学校・高等学校を卒業した者、及びその前身の諸学校の卒業生
(2)幹事会で承認した中途退学者
2 特別会員、本学園の教職員及び教職員であった者
第六条 役員
①会長1名 ②副会長3名以内 ③常任幹事 ④幹事
⑤会計2名 ⑥監査2名 ⑦相談役 ⑧顧問
第七条 役員の選出
1 会長及び副会長は常任幹事の互選による
2 常任幹事は幹事の中から選出する
3 監査は会員より選出する
4 幹事は各年度普通会員より選出する
5 役員は竹水会会員と重複することができる
第八条 役員の任務
1 会長は、本会を代表して会務を総括する
2 副会長は会長を補佐し、会長に事故あるときはその任務を代行する
3 常任幹事は常任幹事会を構成し、重要な会務を審議、これを執行する
4 幹事は幹事会を構成し、常任幹事会の決定に基づき会務を処理する
5 重要事項は常任幹事会、総会の承認を得ることとする
第九条 役員の任期は2ヵ年とする 但し再任を妨げない

第三章 総会・会計

第十条 1 総会は原則として年一回 また必要により臨時に開くことができる
この場合の召集は会長が行う
総会では予算の編成、決算の承認、その他重要事項の協議、報告等を行う
2 総会での議決は出席者の過半数をもって成立する
第十一条 会費・運営費
1 本会に入会する時は終身会費として定められた金額を卒業時に納めるものとする
その額は常任幹事会において定める
2 本会の運営費は会費及び寄付金・通信費をもってあたる
3 例年に無い支出等の場合、常任幹事会、総会に報告し協議、承認を得ることとする
第十二条 監査は本会の会計を監査し総会において監査報告を行う

個人情報保護方針

個人情報に関する法律及び関係省庁のガイドラインを遵守して、会員の個人情報を厳重に管理し適正に取扱います。個人情報は本会が必要とする通知及び会報の送付等 本会の運営に役立てる目的以外には使用いたしません。

  1. 法令の遵守・・・個人情報に関する法令及びその他の規範を遵守いたします。
    個人情報の適正な利用と保護に努め、紛失、誤用、改ざん、漏洩などのリスクに対し、適正な取扱いを徹底します。
  2. 個人情報の取得・・・個人情報取得については、適法かつ公正な手段によって行います。
  3. 個人情報の利用・・・下記に記載した利用目的の範囲内で、業務の遂行上必要な限りにおいて利用します。
    1. 「会報」の送付
    2. 「総会」「幹事会」のお知らせ、他 各種お知らせ・ご連絡
    3. 会員への情報提供
    4. 学園からの申し出に対しての提供(書面)
  4. 個人情報を事前に本人の同意を得ることなく、第三者に提供しません。ただし、正当な理由の範囲内で第三者に委託する場合には、委託先に機密保持を義務づける等、管理、監督に努めます。
  5. 会員本人から、個人情報の開示、訂正、提供範囲の変更や削除を依頼された場合には本人確認の上、合理的な範囲で速やかに対応します。
  6. 個人情報を正確かつ安全に取扱うために、定期的あるいは必要に応じて個人情報保護方針を改訂することがあります。

附則
 1 本会の会則の改正は総会において行う
 2 本会則は平成14年10月12日から実行する
 3 本会則は平成27年10月3日から施行する

 

校歌

第1校歌    松浦 詮 作詩・作曲

1.学びの道のすゝむ世は
      をみなの教ぞはじめなる
  育てみちびけ女子(おうなご)を
      いそしみ励め をとめ子等
2.夫につかえて貞節に
      家を治めて温良に
  子女を養ふ厳正に
      これこそ誠の婦徳なれ
3.玉もみがけば光あり
      人も学べば道を知る
  みなもと絶えずゆく水の
      撓まず学べ 乙女たち

第2校歌    堀内 敬三 作詩・作曲

1.あした みどりの 空を仰ぎて
  ともに いそしむ ひとみは澄めり
  愛もて かざらん まなびの花園
  光に羽ばたく われら若鳥
2.土の息吹の 今も伝うる
  まこと ひとすじ ほがらの心
  きらめき流るる 竹水のごとく
  希望涯なき わかき命よ
3.清き まなびの 窓のともしび
  長く しるべの 光となさん
  心のふるさと 神田女学園
  久遠に 栄えよ 我等が母校


現在、第一校歌と呼んでいる校歌は、神田共立女学校時代顧問だった松浦詮伯爵の作詞作曲ということになっているが、実際の作詞者は大和田建樹であり、作曲は石野という東京音楽学校出の人であるという。
しかし、作詞はまったくの代作ではなく、神田共立女学校の開校式の祝詞の中で、「夫に事(つか)へて貞良に家計を治めて温和に子女を養ふは厳正これ婦徳の善なる者なり」と述べ甲子の号で短歌2首をあげているから、基本的な作詞は伯がしていたとみられる。
作曲については、『竹水』第2号に手書きの譜面があり、そこに松浦詮作詞、石野作曲とある。
阿部恒書簡によれば、作曲者は東京音楽学校の方とあるが、どんな人物かは現在不明である。この校歌は明治、大正、昭和と歌いつがれてきたものだが、戦後の大きな社会情勢の変化もあって、近代的な良妻賢母の養成を目的とする戦後の学園にもっともふさわしい校歌を制定しようという気運が高まってきた。そこで本校理事堀内伊太郎龍角散本舗社長の令弟、堀内敬三に作詞作曲を依頼し、テンポの早い明るいメロディーの校歌が出来上がった。昭和30年3月3日、桃の節句を期して発表され、以後式ごとに全生徒に歌われるようになった。こうして古き良き時代の校歌は、第一校歌として永久に保存されることになった。

第一校歌の作詞者、松浦詮(まつうら・あきら)は肥前国平戸藩第12代藩主。官位は従五位下・肥前守。松浦家37代当主、茶人。書家。麝香間祗候、伯爵。 平戸の殿様に伝わる「石州流鎮信派」茶道師範。
第2代松井正子校長は松浦伯爵家の次女で竹澤校長が幼女の頃から教育掛を務めてきたご縁で本校設立後も経済的な援助はもとより『第一校歌』の作詞もするなど陰に陽に学園をバックアップしてきた功労者である。本校茶道部は松浦鎮信(しげのぶ)の始めた鎮信流を継承して今日に至ったいる。

竹水会 卒業生 著名人

明治44(高女2回) 奥原 とめ 教諭 石洲流鎮信派茶道師範
大正3(高女5回) 藤村 トヨ 東京女子体育大学長
大正8(高女10回) 紅露 みつ 参議院議員 厚生政務次官
大正11(高女13回) 大窪 梅子 万葉集・植物の権威 文学博士 歌人 元国士館大学教授
執筆名:若浜汐子
大正12(高女14回) 田村 秋子 新劇女優
大正14(高女16回) 星野 煉子 女医 星野リゾート現在社長の祖母
大正14(高女16回) 清川 清 歯科医
昭和3(高女19回) 桑沢 洋子 昭和期のファッション・デザイナー 桑沢デザイン研究所 所長
東京造形大学創立者及び学長
昭和6(高女22回) 塚本 積子 千代田区教育委員長 歯科医 
昭和7(高女23回) 清川 虹子 女優
昭和16(高女32回) 福井 龍 医師・医学博士
昭和20(高女36回) 神保 静枝 画家
昭和36(高校19回) 小林 利江 女優 声優 ナレーター
昭和39(高校16回) カズコ・G・ストーン 絵本作家 アメリカ ニューヨーク在住
昭和47(中学25回) 御喜  美江 アコーディオン奏者
昭和50(高校27回) 田村 晴海 神形作家
昭和60(高校37回) 田島 鏡美 日本舞踊家
昭和61(高校38回) 日吉 小左都 三味線奏者
昭和62(高校39回) 北山 加奈子 歌手
平成8(中学49回) 田代 有貴子 元宝塚歌劇団84期生(娘役)・夏央 小槇(なつおこまき)
平成11(高校51回) 諌山 実生 シンガーソングライター
平成26(高校66回) 澤田 香萌 ヴァイオリン・ヴィオラ奏者
(SonyMusic主宰STAND UP!ORCHESTRA所属)
  瀬戸 かずや 宝塚歌劇団90期生(男役)
  永井 徳子(高木) ダンサー・舞台女優
  北斗 晶 タレント

新聞記事

産経新聞・昭和38年(1963)6月1日~14日まで12回連載『あの人もここに学んだ』
※記事をクリックすると拡大してご覧いただけます


昭和38年6月1日


昭和38年6月3日


昭和38年6月4日


昭和38年6月5日


昭和38年6月6日


昭和38年6月7日


昭和38年6月9日


昭和38年6月10日


昭和38年6月11日


昭和38年6月12日


昭和38年6月13日


昭和38年6月14日

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