シロアムの園代表 公文和子さん
公文和子さんに学ぶ「女子のグローバルキャリア」のつくり方

私たち、(神田女学園が運営する)グローバル教育研究所では、海外で活躍する女性やグローバルキャリアを育成するために参考になるであろう人材や機関に取材をする企画があります。
今回、第1回目の企画として、障がい児支援事業「シロアムの園」の代表、小児科医でもある公文和子さんに、高橋順子所長がインタビューを行いました。
なぜ、公文和子さんにお話を聞くことになったのか。それは所長が「情熱大陸」(TBSの番組2024年9月15日)を観ていたことに始まります。
「誰にお話を聞きますか?今一番、お話を聞いてみた方はいますか?」という問いに、「公文和子さんはどうかしら」という回答。すぐに連絡を取り、2024年10月7日にオンラインでのインタビューとなりました。
Guest Profile
公文 和子さん
シロアムの園代表
公文 和子さん
シロアムの園代表
和歌山県生まれ、東京育ち、北海道大学医学部出身、クリスチャンの小児科医。2000年イギリスにて熱帯小児医学を学び、東ティモール、シエラレオネ、カンボジアでの医療活動を経て、2002年JICA(国際協力機構)のエイズ専門家としてケニアに赴任。以降、ケニアに在住し、種々の仕事に関わった後、2015年ナイロビ郊外に
シロアムの園を創設。シロアムの園は、障がい児や家族に対する療育やケア、社会的・経済的な自立支援、地域社会の障がいに対する理解の促進など包括的支援事業を行っている。
高橋

公文先生が出演している番組を見て、「この方の生きざまを知りたいし、これからの女性のキャリアを考える上で、きっと参考になるはず」と思ったのです。今日は、どうぞよろしくお願いします。
まずは、公文先生のご経歴や医者を目指されたきっかけなどを教えてください。
公文さん

私は父の転勤が多かったため、和歌山で生まれ、幼少から高校生まで東京で過ごしました。
北海道大学の医学部に進学するのですが、小児科医になろうと決めた理由は大きく2つあります。
ひとつは、大学6年の時に、バングラデッシュに行く機会があったのですが、子どもたちの目がキラキラしていて、子どもたちと関わる仕事をしてみたいと思ったことです。もうひとつは、わたしの時は医局を決めて卒業していくことが多かったのですが、小児科の医局は他の医局に比べて「家族」を大切にする方が多く、例えば、「今日は子供のお迎えがあるからこれで失礼します」のような会話があるのです。わたしはそのような雰囲気に魅かれました。
高橋

公文先生は、大学を卒業後、医者となります。そして、イギリスに留学をされたり海外に行かれたりするのですが、どのようなきっかけだったのでしょうか。
公文さん

小児科医の仕事を始めてからしばらくして、またバングラデッシュに行く機会がありました。
そう言えば、私はこの国に戻ってくるために、小児科医を目指したのだと。
また外で働いている方々にも相談をすると、アメリカやタイなどの公衆衛生のコースを勧められたのですが、5年間臨床をやっていて気が付くのですが、「グループとして人を考える」というコンセプトが性に合わない、と考えているときに、イギリス、リバプールの熱帯医学校での出会いがあったのです。
ひとりひとりの子どもと向き合うような勉強をしたくて、熱帯小児医学を学ぶことになりました。
改めて、私の経歴ですが、2000年 イギリス・リバプールに留学し、熱帯小児医学を学ぶ。内戦後の混乱残る東ティモールや内戦中のシエラレオネ、カンボジアの小児病院で、医療活動にあたることになります。2002年からケニアでJICAや国際NGOで働き始め、2015年障がい児やその家族の支援事業「シロアムの園」を設立したのです。
最初から、施設をつくり医療活動を行うことは考えておらず、ケニアに来て13年目に施設をつくり、現在10年目を迎えています。


高橋

公文先生のキャリアを伺うと、いつも大変な選択肢を選んでいるように思うのですが、選択をされるときは、どのようなことをお考えされていますか?
公文さん

そうですね。人からよく言われることですが、わたしは意識して大変な選択をしたつもりはないのです。その時の「人との出会い」からの導きによるものと思っています。例えば、バングラデッシュの子どもたちや素敵な医者というように、人との出会いにより、医者も目指すこととなり、現在のキャリアとなったのです。出会いによって「自分のやりたいこと」に導かれていったんのだと思います。
高橋

大変参考になります。ケニアでの活動の最初から施設をつくったのではないと伺い、驚きました。
公文さん

そもそもケニアに行くきっかけは、リバプールで一緒に学んだ医師からのご紹介でした。先ほどもお話をしましたように、最初はJICAの仕事で、中央医学研究所のリサーチャーの育成という業務でした。1年半経過して文化や言葉にも慣れてきたので、もう少しケニアでの仕事をしたいと思い、ケニアに残っていろいろな仕事をしてきました。与えられた仕事をこなしていきました。
そうですね。私はいわゆる臨床が好きで、大切にしていますが障がいのあることどもたちと出会った時にクリニックで「働く」だけでは、十分な臨床やサポートができないと思い始めたのです。
「なんだか違うな」という思いがあったのです。それなら自分で施設をつくり始めてみようと思ったのです。
高橋

そうでしたか。人との出会いは大切ですし、「導かれる」という点に共感します。そして、「やりたいことを始めてみる」という決断や実行力に感心しました。
公文さん

現在、通園をされている方は56名です。1日は20名ほど対応しています。できるだけ多くの方が通園できるように、週3日までの通園にするとしています。実は待機される方は180名以上いるのです。


高橋

どのような障害、症状の方が多いのですか。
公文さん

脳性まひがある子どもが全体の50%、持っている神経発達症や知的な障がいの子どもが40%、ほか先天性の奇形の子ども、ダウン症などの子どもたちです。もちろん、治療をして治していく医療というよりも、心理的なサポートなどを含めた「包括的な支援」を行っています。それは一人一人抱えていることは異なります。同じ脳性麻痺であっても、サポートは異なります。医療、教育的な支援、リハビリ支援、社会的なサポートも重要です。特に親に対する支援も大切です。親がハッピーでないといけない。親に対する経済的な支援も必要ですね。
高橋

確かにそうですね。
公文さん

差別や偏見もありますし、やはり経済的なサポートは必要です。障がいの子どもを抱えることで、家庭崩壊が起きてしまうのです。父親や母親が逃げ出してしまうことや祖父母が育てていく場合もあります。障がい者の面倒を見るために時間的な制約が生まれてしまい、収入を得にくくなったりします。そのような家庭、家族のサポートをしています。

高橋

グローバル的な視野を拡げるために、中学・高校のときに、どのような経験や教育を受けるべきでしょうか。
公文さん

そうですね。すべての人にあてはまる「こういうこと」はなくて、人それぞれだろうと思います。ただ、「人との関わりを丁寧にすること」は大切ですね。
今、生きている環境のなかで人との出会いがあります。人との関係で悩むとしても、「人とのかかわりの中でどう生きるのか」ということです。
中高生の時には、友人関係や親との関係、例えば親はうるさいなと思うこともあるでしょう。周囲との人間関係などに悩んだり嫌な気持ちになったりしますね。ものすごく嫌なこともあるでしょう。
私はクリスチャンなのですが、ひとつひとつの出会いには意味がありますね。出会った人たちとどのように向き合うのか、出会いを大切にするということではないでしょうか。
やはりどのような仕事に就こうとも人との関りがありますから、与えられたものをひとつひとつ丁寧に向き合うことではないでしょうか。
もうひとつは、高橋先生の学校は、私立の学校ですね。生徒の皆さんに、与えられている経済的なものや能力、住んでいる場所、自分の性質(明るいとか暗いとか)などに、しっかりと向き合ってほしいのですね。
どのように与えられた環境、資質などを使っていくのか、磨いていくのかということです。それ自体はひとりひとり異なるものですが、あなたに与えられているものを大切にしてほしいのです。


高橋

最後に、もうひとつ、神田女学園では海外で働きたい女性のため、また視野を拡げたい女性のために、海外体験や留学制度があります。また多言語(フランス語、中国語、韓国語)の教育を行っています。海外へ出ていく生徒も多いのですね。海外を目指すとき、もっとも必要な力はどのような力でしょうか。
公文さん

わたしは、「海外に行くために向いている資質や性質がはっきりとあるわけではない」と思っています。自分のやるべきこと、ミッションだと思えばやればよいと思うのです。例えば、海外に行くためにはよく語学力が必要だと言われますが、私自身は語学が苦手です。
私の性質は、人と関わることが好きだから、現地では困らずにやれています。ただ、これは私がそうであって、すべての人にあてはまるわけではありません。
誰とどう生きていくのか、自分が何をやりたいのか、自分が持っているものがどのように活かされるのか、という点が大切だと思います。
この資質がないから海外に行けないと思うことはないのです。
私は人間の持っている基本ができているかという点が大切と思うのですね。
「海外は文化が違うから大変ですね」と、よく人から言われるのですが、日本であっても文化が異なる、価値観や環境が異なる人たちと向き合うこともありますね。
わからないということが前提にあっても、わかりたいという気持ちがあるかどうか。認められるかどうか、だと思いますし、日本でやっていることの延長であろうと思います。
選択肢がいろいろと見えた時に、間違うこともあるだろうし、ドンピシャな選択ができるかどうかもありますね。もし選択が間違えたとしても、そのことに意味がるのだと思うのですね。そのことに丁寧に向き合うことだろうと思います。
高橋

そうですね。人との出会いの意味や丁寧に向き合っていくことで、活躍するフィールドがたまたま海外となるのでしょう。あまり海外だと意識をせずに、関心意欲のとおりに取り組んでいけばよいのでしょうね。
最後に、日本に来る機会はありますか?あるのであれば、ぜひ、本校でご講演をお願いしたいのです。公文先生から、今日伺ったことは、今を生きている中高生にも、大いに響くことだと思っています。今後も公文先生と交流ができればと思います。
公文さん

ありがとうございます。私の話を聞いていただき感謝います。毎年1回は日本に戻り、いろいろな方にお会いをしています。今年は6月に帰国をしていくつかの学校を訪問しました。ぜひ、今後、神田女学園にも訪問をして、直接お会いできればと思います。
高橋

ぜひ、よろしくお願いします。
「共に歩む」という言葉は、たいへん共感しました。海外志向の女性もたくさんいますね。自分のキャリアをアップさせるタイプもいます。私がやはり公文先生に魅かれた理由は、まさにここにあるのではないか、と思うのです。
私が理事長である神田女学園の校訓は「『誠愛勤朗』(せいあいきんろう)です。誠を尽くし、他者を愛して、他者のために勤め(働き)、朗らかに生きていきなさい」ということです。そのような女性になるということが、ひとつの本校のロールモデルとしています。
その意味ではまさに公文和子先生の「生きざま」は本校が目指している女性のキャリアそのものだと思います。
今回、グローバル教育研究所のオープニングの企画として、公文先生とお話ができて感謝します。
ケニアという土地で、障害のある子供たちのために日々、奮闘されている公文和子先生のお話を伺い、新たな生きるパワーをいただいたように感じます。
医者を目指した一人の女性がいろいろな土地で、いろいろな人々と出会い、迷いながらも与えられた道を自分は進んでいこうと心に決めて、様々な困難を乗り越えて人として医師として成長し、周りの人たちを巻き込んで、素晴らしい組織を作りあげていく。
「私は障害のある子供たちと共に生きていきたいのです」と、語った時の公文先生の笑顔が本当に印象的でした。これからも公文先生のご活躍を応援したいと思いますし、公文先生のような素敵な女性とお知り合いになれたことを本当に幸運なことだと思います。
(神田女学園グローバル教育研究所所長 高橋順子)